障子について
歴史を紐解くと
『襖について』のページでも述べていますが、広い意味での『障子』とは物の隔てに立てて遠望を妨げる建具衝立類の全てを指します。
『障子』という言葉が日本の書物に初めて登場するのは、なんと『日本書紀』だと言うから驚きです。もっとも、その頃の障子は現在の『衝立』の事で、現在の襖・障子にあたる『遣戸障子』が生まれたのは、もう少し後の時代だそうです。
現在、一般的に『障子』と呼ばれるものは、『遣戸障子』の骨の片面に薄い白紙を一枚だけ張って風を防ぎ、同時に室内に明かりを引く事を主な目的としたもので、特に『明障子』と呼ばれます。『遣戸障子』に唐紙が使われるようになったのは平安時代の終わりから鎌倉時代で、それ以前は絹張りだったようですから、その頃に『紙障子』(『明障子』の別名)という呼び名も生まれたのでしょう。
『紙障子』『唐紙障子』が誕生して、『障子』は皇族や上流貴族だけのものではなくなり、広く普及するようになりました。(と言っても、庶民に普及するにはもう少し時間がかかったようです)
初期の頃の『明障子』は『腰高障子』で、屈んだ時に外から人影が見えないよう、障子の下半分くらいに腰板を張ったものが主流でした。この腰板が低くなったのは、古田織部(1544~1615)の好みからと言われています。(茶人が表具に与えた影響はこの他にも様々なところで見られます)